ガジュマルの樹
この年末にマイちゃんの家の前にあった大きな
ガジュマルの樹が、切り倒されたというので会いにいってきました。そこにはもう、土の中にのこった根っこと切り株しかなく、枝や幹はアパートの裏庭にばっさりと捨てられていました。
マイちゃんも、子供たちも、
ガジュマルの樹の周辺に住んでいた人たちは、とつぜん予告もなく切られてしまったことにとてもショックをうけました。マイちゃんの息子りゅうえい君(2歳)なんて、樹を伐採しているおじさんのところに、泣きながら走っていって「やめてください!切らないでください」ってお願いしたというから、その胸のうちを思うと、こちらまで胸がズキズキします。
みんなが大切にしていた景色。
ガジュマルがいつでもそこにたっているということ。
ある日、それがものの数分でなくなってしまうということ。
街に住んでいたら、人の都合が優先されるから、そういうことがいつ起こってもおかしくないというのはわかってるつもりだけど。そして今こうして、切られてしまった
ガジュマルの前で悲しくなっている自分だって、樹を切らなければいけないほうにまわることだってあることも。
だけど、たった1本の樹が風景からなくなるってことがどういうことか忘れないつもり。
何十年もかけて大きくなっていった
ガジュマルの痛さを忘れないつもり。
コトリの家の窓から見えるあの大きな
ガジュマルの樹が、ある日とつぜんなくなっていたら、きっとさびしさのあまり引越してしまうかもしれない。そして、もしコトリがその樹をもっている大家さんだったり、樹を切る係りの人だとしたら、樹のまわりで暮らす人たちに「どうしても切らなければならなくなった事情」を1人1人に話しにいって、大切な景色をこわしてしまうことをわびようと思います。
ガジュマルには最低3ヶ月前から「切ってしまう」ことを話すでしょう。
マイちゃんは、伐採された
ガジュマルの枝や気根や幹を拾いあつめ、新しい何かに生まれかえさせようとしています。とても大切に思っているのです、この樹のことを。
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