コトリ修行道
何かに対して腹をたてるのは、とてもやな気持ち。
昨日、あることに対して怒ってとても悲しくなりそうになりました。
しかし「まてよ、これはあの修行が役にたつのでは?」
とふと思い、あまり怒るのをやめました。(あまりというのポイントですが)
あの修行とは、
仏陀が修行したという瞑想法です。
次々に生まれてくる感情の連鎖反応を、
起こっている事実をただ単純にみつめることで断ち切るというものです。
たとえば、誰かが自分が大切にしているコップをわってしまった。
「コップわれた→あんなに気にいっていたのに→わったこいつむかつく→ウキー(怒)」
となるとこを
「コップわれた→私は悲しい」というところで終わりにするのです。
論理的ですっきりした思考回路を手にいれる修行です。
この話しをまわりの人にすると
「でも人間だったら、悲しくなったり、うれしくなったり、怒ったりするのは自然の感情だから、
素直に感じればいいんじゃないか」という意見もあります。
たしかに。
でも、必要以上にヒステリックに反応するのは、コトリ修行道としてできればさけて通りたい。
たまに怒ったり、悲しくなっても、やっぱりおだやかな気持ちが一番かなと思うのです。
そしてコトリの修行の道は続くのでした。
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