最後の夜
<毎日通った壺屋のすーじぐゎー>
ちょうど1年前の今頃、壺屋の高江洲アパートで最後の夜過ごしていました。
引越し作業も終わって、明日手持ちでもっていく荷物とグリとグラのはいった鳥籠だけの部屋。
3年半過ごしたその部屋は、はじめて越してきた時のようにガランと広くシーンとしていました。
最後の日は、徹夜で引越し作業があったり、読谷に挨拶にいったり、最後のフラにいったりして体力は限界にきていたのですが、眠ってしまうのがなんだかもったいなくて、見慣れた木目の天井を眺めて横になっていました。
壺屋の夜の音。蛙の合唱、虫の音、ネコのケンカ、犬の遠吠え・・・。
体全部が耳になったようにその音を深いところまで吸い込んでいました。
あたりまえのように繰り返しくる夜は、もうすぐあたりまえじゃないところにいってしまう。
でも沖縄で暮らす毎日、ほんとはいろんなことに気づいていました。
どの瞬間も一度きりなのだと。特別な時間の積み重ねが毎日を作っているのだと。
だからいつもと同じ道を歩いているだけでうれしかったし、朝が来るのも、夜になるのも幸せでした。
東京にもどってきて1年。沖縄でしみついたこの感覚は今も続いています。
東京には、シーサーも、ガジュマルの樹も、スーサーのきれいな鳴き声もないけれど、かけがえのない時間を大切に思う気持ちは同じです。
青空にのびる銭湯の煙突や、ビルの間にみえる夕陽、商店街の明るい笑い声。
明日、緑のコトリさんとコトリの東京生活2年目はじまります。
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