2007年01月07日
ガジュマルの樹
この年末にマイちゃんの家の前にあった大きなガジュマルの樹が、切り倒されたというので会いにいってきました。そこにはもう、土の中にのこった根っこと切り株しかなく、枝や幹はアパートの裏庭にばっさりと捨てられていました。
マイちゃんも、子供たちも、ガジュマルの樹の周辺に住んでいた人たちは、とつぜん予告もなく切られてしまったことにとてもショックをうけました。マイちゃんの息子りゅうえい君(2歳)なんて、樹を伐採しているおじさんのところに、泣きながら走っていって「やめてください!切らないでください」ってお願いしたというから、その胸のうちを思うと、こちらまで胸がズキズキします。
みんなが大切にしていた景色。
ガジュマルがいつでもそこにたっているということ。
ある日、それがものの数分でなくなってしまうということ。
街に住んでいたら、人の都合が優先されるから、そういうことがいつ起こってもおかしくないというのはわかってるつもりだけど。そして今こうして、切られてしまったガジュマルの前で悲しくなっている自分だって、樹を切らなければいけないほうにまわることだってあることも。
だけど、たった1本の樹が風景からなくなるってことがどういうことか忘れないつもり。
何十年もかけて大きくなっていったガジュマルの痛さを忘れないつもり。
コトリの家の窓から見えるあの大きなガジュマルの樹が、ある日とつぜんなくなっていたら、きっとさびしさのあまり引越してしまうかもしれない。そして、もしコトリがその樹をもっている大家さんだったり、樹を切る係りの人だとしたら、樹のまわりで暮らす人たちに「どうしても切らなければならなくなった事情」を1人1人に話しにいって、大切な景色をこわしてしまうことをわびようと思います。
ガジュマルには最低3ヶ月前から「切ってしまう」ことを話すでしょう。
マイちゃんは、伐採されたガジュマルの枝や気根や幹を拾いあつめ、新しい何かに生まれかえさせようとしています。とても大切に思っているのです、この樹のことを。

みんなが大切にしていた景色。
ガジュマルがいつでもそこにたっているということ。
ある日、それがものの数分でなくなってしまうということ。
街に住んでいたら、人の都合が優先されるから、そういうことがいつ起こってもおかしくないというのはわかってるつもりだけど。そして今こうして、切られてしまったガジュマルの前で悲しくなっている自分だって、樹を切らなければいけないほうにまわることだってあることも。
だけど、たった1本の樹が風景からなくなるってことがどういうことか忘れないつもり。
何十年もかけて大きくなっていったガジュマルの痛さを忘れないつもり。
コトリの家の窓から見えるあの大きなガジュマルの樹が、ある日とつぜんなくなっていたら、きっとさびしさのあまり引越してしまうかもしれない。そして、もしコトリがその樹をもっている大家さんだったり、樹を切る係りの人だとしたら、樹のまわりで暮らす人たちに「どうしても切らなければならなくなった事情」を1人1人に話しにいって、大切な景色をこわしてしまうことをわびようと思います。
ガジュマルには最低3ヶ月前から「切ってしまう」ことを話すでしょう。
マイちゃんは、伐採されたガジュマルの枝や気根や幹を拾いあつめ、新しい何かに生まれかえさせようとしています。とても大切に思っているのです、この樹のことを。
Posted by コトリ at 21:49│Comments(4)
│日々のこと
この記事へのコメント
コトリさん、こんばんわ♪
ガジュマルのお話、読んでいて胸が詰まりそうになりました。
そして、両方の立場になってコメントしているコトリさんもえらいな〜と。
ガジュマルは特別な樹のように思います。
キジムナーの話もきっと本当の事に思えるし。
子ども達にはきっと何か感じるモノがあったのかも。
そう言えば、何年か前に読んだ田口ランディさんの
「光の雨ふる島・屋久島」の中で
ガジュマルについて書かれていた部分を思い出しました。
恥ずかしながら、ガジュマルが寄生樹であることを初めて知った本でした。
ガジュマルに初めて怖い印象を抱いたものの
幼い頃からいつも近くにあった樹なので
やっぱり大好きな樹のひとつです。
ガジュマルのお話、読んでいて胸が詰まりそうになりました。
そして、両方の立場になってコメントしているコトリさんもえらいな〜と。
ガジュマルは特別な樹のように思います。
キジムナーの話もきっと本当の事に思えるし。
子ども達にはきっと何か感じるモノがあったのかも。
そう言えば、何年か前に読んだ田口ランディさんの
「光の雨ふる島・屋久島」の中で
ガジュマルについて書かれていた部分を思い出しました。
恥ずかしながら、ガジュマルが寄生樹であることを初めて知った本でした。
ガジュマルに初めて怖い印象を抱いたものの
幼い頃からいつも近くにあった樹なので
やっぱり大好きな樹のひとつです。
Posted by ままち at 2007年01月09日 21:27
ままちさん
そう、なんだかさびしくなるお話ですよね。
こういうことは、自分の知らないところで日常的におこっていることなのかもしれませんが、知ってしまうと苦しい気持ちになります。
ガジュマルの樹を見るとき、いつも特別な気持ちになります。憧れのような、ほっとするような、少しこわいような・・・。キジムナーがこの樹に宿っているというのもなんだか信じられるのです。
田口ランディさんの屋久島のエッセイ、わたしも読んだことがあります。屋久島には「ガジュマル公園」がありますね。森の中で出会うガジュマルはよりいっそう迫力があります。子供の頃、身近にあったらきっと木登りとかしてたんだろうなー。ままちさん、小さい頃から近くにいたなんていいなーと思うのです。
そう、なんだかさびしくなるお話ですよね。
こういうことは、自分の知らないところで日常的におこっていることなのかもしれませんが、知ってしまうと苦しい気持ちになります。
ガジュマルの樹を見るとき、いつも特別な気持ちになります。憧れのような、ほっとするような、少しこわいような・・・。キジムナーがこの樹に宿っているというのもなんだか信じられるのです。
田口ランディさんの屋久島のエッセイ、わたしも読んだことがあります。屋久島には「ガジュマル公園」がありますね。森の中で出会うガジュマルはよりいっそう迫力があります。子供の頃、身近にあったらきっと木登りとかしてたんだろうなー。ままちさん、小さい頃から近くにいたなんていいなーと思うのです。
Posted by コトリ at 2007年01月09日 22:33
あぁ~この気持ち、痛いほどわかります。
実は、毎朝通勤途中に眺めていた「モミジ」の木があったんだけど、
春~夏は美しい緑。秋には素晴らしい紅を地面をも染め、いつも
心を豊かにしてくれていました。このモミジが私は大好きだった。
しかし、ある日突然、この来が何等分にも切り刻まれ、
根っこも掘り起こされていたのです。そしてそこの自宅もろとも。。。
きっといろんな事情があって、この家、土地を引払うことになったのでしょう。
でも、モミジは残してもよかったのでは!?
木だけでなく、この土地そのものが泣いているようで、
今でもこの道の前を通ると、残影が浮かんできて泣けてきます。
今では土地も均されて何棟もの家が建ち始めました。
このお屋敷、広かったんだなぁ~。
こうやって時代は移り変わっていくのでしょうか。
不変を望んではいけないのかもしれないけど、
何か今でも釈然としません。
あの木を生かしたまま土地計画できなかったのだろうか・・・・。
実は、毎朝通勤途中に眺めていた「モミジ」の木があったんだけど、
春~夏は美しい緑。秋には素晴らしい紅を地面をも染め、いつも
心を豊かにしてくれていました。このモミジが私は大好きだった。
しかし、ある日突然、この来が何等分にも切り刻まれ、
根っこも掘り起こされていたのです。そしてそこの自宅もろとも。。。
きっといろんな事情があって、この家、土地を引払うことになったのでしょう。
でも、モミジは残してもよかったのでは!?
木だけでなく、この土地そのものが泣いているようで、
今でもこの道の前を通ると、残影が浮かんできて泣けてきます。
今では土地も均されて何棟もの家が建ち始めました。
このお屋敷、広かったんだなぁ~。
こうやって時代は移り変わっていくのでしょうか。
不変を望んではいけないのかもしれないけど、
何か今でも釈然としません。
あの木を生かしたまま土地計画できなかったのだろうか・・・・。
Posted by 亜 at 2007年01月21日 20:08
亜さん
亜さんの身近でもそんなことがあったんだね。
そこにはもみじの木もあって、家族が住んでいる家もあったけれど、
時は流れ、土地は売られ、また新しい建物がたって・・・
街っていうのはそういうものかもしれないけれど、
なんともさびしい気持ちになってしまうよね。
樹も花も関心がない人にとっては、とるにたりないことなんだろうけど。
こういう痛みを感じている人は少なくないのかもと思う今日この頃。
亜さんの身近でもそんなことがあったんだね。
そこにはもみじの木もあって、家族が住んでいる家もあったけれど、
時は流れ、土地は売られ、また新しい建物がたって・・・
街っていうのはそういうものかもしれないけれど、
なんともさびしい気持ちになってしまうよね。
樹も花も関心がない人にとっては、とるにたりないことなんだろうけど。
こういう痛みを感じている人は少なくないのかもと思う今日この頃。
Posted by コトリ at 2007年01月21日 22:30