2008年05月26日

おばちゃんとの別れ

伯母がなくなってから10日が経ちました。
小さい頃からかわいがってくれていた一番身近なおばちゃんです。
身近な人の死は、高校生の時、おじいちゃんとおばあちゃんがなくなって以来でした。

なんというのか、実感がわかないのです。
お葬式も終わって、火葬もして、一通りのセレモニーが終わっても、おばちゃんがもう同じ世界にいないということが、なかなか心に浸透してこないのです。棺の中で目をつむっているおばちゃんを見て涙が出ました。ドライアイスで冷たくなったおばちゃんの額に手をあてるとまた涙が出ました。
でも、ほんとうのところ実感はできてないのかもしれません。

お坊さんのお経を聞いていると、少しだけ「生」や「死」の意味がわかったような気がしました。
これと同じお経を高校生の時聞いた時も同じような気持ちになったのを覚えています。
私たちは生まれたときから「死」に近づいている。永遠に続く命なんてなくて、それはみんな平等なこと。

お通夜の後の会食で、お坊さんが言っていました。
「(奥さんの)七回忌が過ぎる頃までは、さびしくてしかたなかった」
毎日、お経を読み上げているお坊さんだってこんなふうに感じるのだから・・・。

ただ今回のことで思ったのは、子供たち(孫)は私たち大人にとって希望の光だなということ。
この悲しい場面に、子供たちの笑顔と元気な姿があったのは、なによりも心がなぐさめられました。
おばちゃんはいなくなっても、若い命のなかに受け継がれているものが確かにあると、そう思ったのです。
「死」の意味はまだわかりません。
だけど「生きている」ことを大切にかみしめて暮らしていこうと改めて思いました。
おばちゃん、ありがとうございました。


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Posted by コトリ at 22:55│Comments(2)日々のこと
この記事へのコメント
どうもありがとう!
本人もみんなに優しく見送られて喜んでいると思います。
あの素敵なマフラーで、今頃、お洒落してるかもね!
Posted by あーま at 2008年06月05日 13:31
あーまさん

わたしたちの目にはみえなかったけれど、おばちゃんきっと棺の上あたりから来てくれたみんなの顔を眺めていたはずよ~。
マフラー気にいってくれているといいな。あの色は春からの贈ものです。
Posted by コトリ at 2008年06月05日 22:39
 
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