2005年09月17日

海へと続く道

沖縄を歩いていると、
いつも「に近づいていっている」気持ちがします。海へと続く道
の見えない場所でも、
右か左か、もしくは自分の両側にを感じるのです。
一歩一歩がに通じている感覚。


沖縄で育った人は、体の中にの存在感を、
ずっしりと、広々と、体の一部のように持っている
のだろうなと思います。
私はまだ2年しか沖縄で暮らしていませんが、
それでも毎日、この土地で動き、眠り、生活していると、
やっぱりの存在が、自分の中に浸透していっているのを感じます。

どんな場所で生まれ育ったかは、
大人になってからの人生観にも影響を与えるのでしょう。
私は、も山もない街中で育ちましたが、近所に神田川がありました。
川幅も狭いし、水もあまりきれいではありませんでしたが、
「水がどこからか来て、どこかへと流れていく」
という感覚は、体の中にうめこまれているのかもしれません。

橋の上から棒切れを投げて、グングン流れていくのを見ては
「あの棒はまで流れて行くんだよ」と誰かに教えてもらった記憶があります。

「今、私はから流れ着いて、にいるのだろうか?」
とぼんやり考える土曜日の朝です。



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Posted by コトリ at 09:23│Comments(2)
この記事へのコメント
海・空・雲 写真綺麗ですね…(夕焼けの写真もすごい綺麗でした…)
川も良いですね…
長野に住んで事が有り、山と雪に囲まれた生活も忘れられないです…
生活や自分の中に浸透する…分かるような気がします…
コトリさんはまた海から川に鮭のようにのぼるのでしょうか?
Posted by fumi at 2005年09月18日 10:19
fumiさん>沖縄人のfumiさんが、雪深い長野で暮らしていたのですね。さぞ寒かったでしょうね。でも、ふりかえればあのシーンとした寒さがなつかしかったりしますよね。
私は、広い海をどこまでも泳いでいきたいです。
「鮭のように」っていいですね!
Posted by コトリ at 2005年09月18日 23:55
 
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