2007年04月27日

ナイノア・トンプソン船長講演

         ナイノア・トンプソン船長講演
              <スライド:ホクレア号から沖縄の島影が見えた時>

「水平線に沖縄が見えたとき乗組員は静かに涙した。その時わたしは振り返り、これまでの多くの人の教えや経験を思い出し、自分がどこから来たのかを理解した・・・」(ナイノア・トンプソン)


ナイノア船長の講演にいってきました。(場所:糸満・沖縄水産高校)
ハワイ原住の人たち固有の文化と、それを禁じられた悲しみの時代。
そして、それらを復興させようとするビジョンの中に、ホクレア号の存在は一つのきらめく星として現れたということ。ホク=星、レア=幸福、ホクレアとう名前はまさにそのことをあらわしているのだということ。本を読んで漠然と理解していたことが、ナイノア船長の語る言葉を通して、心にしみこんできました。

「その時わたしは振り返り、これまでの多くの人の教えや経験を思い出し・・・」というナイノア船長の言葉を読んだ時、コトリはホクレアに関わる何人かの人の名前が浮かびました。

伝統的航海術を教えてくれたサタワル島のマウ・ピアイルグ
1978年にナイノアと共にホクレア号にのり、みんなを助けるために亡くなったエディ・アイカウ
日本のために航海カヌーを作ろうとしたタイガー・エスペリ
ナイノアを海へと連れ出してくれた日系2世のヨシオ・カワノ
そしてナイノアの


講演の中でも、今ここにはいない、けれども大切な人たちのことが語られました。
ホクレア号の航海は、実際に乗っているクルーだけで成し遂げたことではなく、「南太平洋に生きる大きな家族を作ろう」と夢みた人たちすべての結晶なのだということがわかりました。

ナイノア船長は講演のはじめに「航海、航海術のこと、というよりも精神的なことをお話したい」というようなことを言っていました。スターナビゲーションの技術は確かに私たちの想像を絶する叡智なのだと思います。でも、きっとそれを理解する以上に、私たちが考えるべきことは「なぜホクレア号は命をかけて、日本までやってきたのか」ということではないかと思うのです。
あるクルーが歓迎パーティーの席でこう言っていました。
「自分たちの文化を大切にしてください」
今、この短い言葉に、すべてがこめられているように感じています。

ハワイの人がホクレアの航海によって、ポリネシア人としての自覚をとりもどしたように、
私たち島人もホクレア号を目の前にして、大切な何かをとりもどす時が来たようです。



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Posted by コトリ at 23:42│Comments(6)ホクレア号
この記事へのコメント
こんばんは。
わたしもその場にいました。
読ませていただいて、あらためて感動、ありがとです。
Posted by グル君 at 2007年04月28日 01:37
ナイノアはタイガーの話をしたんですね!
昨年の福岡での講演以来、ナイノアのスピーチにタイガーが登場したのは初めてです。決して仲が悪いわけではないけれど、オアフ出身のクルーとハワイ島出身のクルーは何となくタイプが違っていて(関東人と関西人ほどは違わないかな?)、違う島の出身者について語ることって意外に少ないんです。
日本に気を遣ってくれてのことでしょうか?
だったら、ナイノアを鎌倉の長谷寺にご招待しなくては……
Posted by west2723 at 2007年04月28日 02:05
ナイノア船長は確かガイアシンフォニーに出ていらした方ですよね。
そんな方のお話が直接聞けるなんてうらやましい~。

大切な何かを取り戻す・・・
心に響く言葉です。
Posted by マルコ at 2007年04月28日 09:52
グル君さん

そうですか、グル君さんもあの場にいらっしゃたのですね。
300名くらいあつまったそうですが、あの体育館が満員になるくらいの人がおしよせてもいい意味内容でしたね。
ホクレア号が沖縄にきてくれたこと、ほんとうに感謝しています。


west2723さん

あぁー、ごめんなさい。west2723さんのコメントに「はっ」として少し書きかえたのですが、ナイノアさんは今回、タイガーさんの話はしていなかったと思います。ただ、私自身、タイガーさんの存在を知って、ハワイと日本のつながりをとてもうれしく思いました。ナイノアさんも、講演のなかで日本とのつながり、日本への思いを大切に語ってくれていました。
横浜にホクレアが寄港した時には、ぜひナイノアさんを長谷寺に招待してほしいです。長谷寺は小さな頃からいっていましたが、タイガーさんのことを知ってよりすばらしい場所だと感じました。


マルコさん

そうです!ガイアの第三番だったかな?
ホクレア号の歓迎パーティーと講演会には、龍村監督と、ガイア4番に出演した名嘉睦稔さんがいらしていました。ガイアシンフォニーのつながりを、この目に見ることができて幸せでした。
これから、ホクレアは日本の各地をまわっていくので、機会があったらぜひマルコさんにも会ってほしいです。
マルコさんのところだと、愛媛が近いかな?
愛媛丸でなくなった学生さんの魂を届けにいくそうです。
Posted by コトリ at 2007年04月28日 13:45
コトリちゃん、すごくジーンと胸にしみるレポートありがとう。
私も、あの、歓迎パーティの時の
『自分たちの文化を大事にしてください』
って言葉が凄く胸に残っていて、どういう気持ちで言ったんだろう?
って家に帰ってからしばらく考えていたんだ。
沖縄に着いて、フラやエイサーなどに歓迎されたから?
それだけじゃなくって、あれは航海すべての事を言っていたんだね。
サタワルのマウさんがナイノア船長に
『波の揺れ方で向こうに島があるのがわかる、けど、それは教えてわかる事じゃない、感じることだ』って言ってたの読んで、文化ってそもそも、そういうものだと思った。頭にたたき込むだけでは伝承しきれない大事なものをたくさん感じて受け取って、子供たちにも伝えていきたいな。
あの晩はそれを身をもって教えてもらえた夜だった。
ありがとう、ホクレア号、そしてコトリちゃん。
Posted by toropic at 2007年04月29日 23:14
toropicさん

そっかーtoropic さんもあの言葉が胸にのこっていたんだね。
わたしもあの時は「どういう意味かな?」と思ったんだけど、ホクレア号の航海の意味や、遠い日本にまで来てくれたという冒険の意味を考えたとき、ナイノアさんやクルーの人たちの言葉を聞いたとき、「ああ、そうかー」と思った。
そうだね、自分が何かにふれて感じることができなければ、時が過ぎるとともにうすれていってしまうものかもしれないね。
toropicさんの子供たちと一緒にエイサーやフラをみていて、「今、この目の前の音や光や人の動きを全身で感じているんだな」って思ったよ。
子供といると、なんだかこちらまで深くものごとに接することができるような気がします。
だから私も、toropic 一家にありがとうが言いたいです。
Posted by コトリ at 2007年04月30日 22:53
 
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