2005年09月06日

いなくなるということ。

実家で16年間飼っていたマルちゃんというコザクラインコがいます。
去年の5月に、天国にいきました。
そして、今、デスクに座って見上げる位置に、マルちゃんの写真が飾ってあります。
(なぜか、横には岡本太郎のポストカードも・・・)
りりしくこちらを見据えるマルちゃんの顔を見ていると、
落ち込んでいる時でも「マルちゃんのように気高く生きなければ」
と心が強くなります。

沖縄に来てからは、マルちゃんと離れて暮らしていたので、
今でも東京の実家にはマルちゃんがいるような気持ちになりますが、
ふと「ああ、マルちゃんはもういないのだ」と思い出すと、
きゅうにさびしくなって、胸がキュンとします。
今でも会えるような気がします。
「生まれてきたものは、やがて死を迎える」
それはわかっているはずなのに、
もうふれられないところにいってしまった、といことがどういうことなのか、
私はきっとまだ理解できてないのかもしれません。いなくなるということ。

2羽の小鳥たち(グリ&グラ)が、
時々空をみて「マルちゃん!」と鳴きます。
そんな時、私は「マルちゃんが遊びにきたのかな?」
と思います。

いつか、マルちゃんのことを絵本に描こうと思います。


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Posted by コトリ at 00:46│Comments(2)ラブバード
この記事へのコメント
身近にいたものがいないという喪失感はなんとも胸が痛くなりますね。
家も飼っていた猫を何匹も看取りましたけれど写真を見るたびに切なくなります。
でもいい思い出もたくさん残してくれたのでそれを思い出すと亡くなった猫たちも幸せだったのかなぁ。と思います。
マルちゃんもきっと幸せな一生を送れたと思いますよ。p(^∇^)q
Posted by くに at 2005年09月06日 03:10
「今ここにはいない」けれど、一緒に過ごした時間までは消えないし、
人も動物もこんなにたくさんいる世界で、同じ時間を共にできたのは、
それだけですごいことかもしれませんね。

Posted by コトリ at 2005年09月06日 09:19
 
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