2005年10月05日

世界でひとりぼっちの、ふたり。

桜坂劇場に「サラ いつわりの祈り」を見にいってきました。世界でひとりぼっちの、ふたり。

どこに救いをみつけたらいいのかわからない痛みを感じながら、そしてそれは最後まで消えないまま映画は終わってしまいました。
里親のもとで暮らしていた少年は、ある日突然母親サラの元につれもどされます。
サラは私が思っている母親像とはあまりにもかけはなれたものでした。


娼婦である彼女との生活は、ドラッグと暴力にあふれています。
最初は反発していた少年も、いつしかサラ母親として愛するように。
「ボクがママを守るから大丈夫」
ドラッグで精神がこわれてしまったサラを抱きしめる細い腕・・・。

どんなに救いようのないストーリーでも、映画が終われば悪夢も終わります。
でも、このストーリーは、原作者のJTリロイの自伝だというから、これは現実にあった話。
「こういう世界が存在するんだ」という事実に、かなりの衝撃をうけました。

JTリロイ自身、なぜこの話を小説にしたかということについて
「まったく違う世界があるということを知ってもらいたかった」
といっています。
たしかにリロイの狙い通り、私は「まったく違う世界」を知ることになりました。
自分が今見ている世界は、世界のほんの一部分にすぎないということも。


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この記事へのコメント
世界中には、まだ目に見えない部分が沢山あるんですね。。。
人間は自己の生活しか目に見えない事が多いと思うのですが、時折この様な映画やNEWSを拝見して、自分という人間はなんと裕福で幸せなのだろうか・・・と思うときがあります。

時として人は親を選べずにこの世に命を授かります。
幸せに一生を過ごして行く人も居れば、産まれながらにして有り得ないほどの生活を送る人も居ます。

映画の原作者の方は『こんな生活を送っていたのだけれども、自分は一生懸命に生きている。』という事も伝えたかったのではないでしょうか??

私も是非観てみようと思います。

世界で一人ぼっちの、二人。。。とても深く考えさせられるタイトルです。
Posted by mimi at 2005年10月06日 11:12
そうですね、知らない世界がたくさんありますよね。
私の周りにも、想像をこえる生活を送ってきた友達がいます。
話を聞いた時は、すごいショックでした。
私が知らないだけで、そういう世界ってのは身近にあるようです。。
この映画、すごい観たくなりました。。
でも、観おわった後、しばらく苦しいかもしれませんね。。
Posted by i-z at 2005年10月06日 11:26
mimiさん>自分の人生と比べることもできないくらいの別世界の話。でも、それは遠い国の話しではなくて、アパートのとなりの部屋で起こってるかもしれない現実ともいえるのでしょう。

私はハッピーエンドの物語がスキですが、心地いいだけでは感じられないこともあるのですよね。

i-zさん>どんなにその人の気持ちになって考えようと思っても、想像の範囲でしか理解できないのが悲しいところですが、自分には想像できない世界もあるということを知ることは、大人になううえで必要なことなのかもしれませんね。

この映画、観ながら「絶句」していました。
日本の「誰も知らない」を観た時も、考えてしまいましたが。
Posted by コトリ at 2005年10月06日 14:54
 
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