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Posted by TI-DA at

2012年06月02日

トタン屋根の雨音

わが家の屋根はトタンでできている。
今しがた降ったみたいなスコールの時は、
眠っていてもびっくりして起きてしまうような、派手な雨音がします。
雨音をボーっと聞いていると、滝壺のなかに落ちていくような錯覚に。
今時の高気密・高断熱の家では味わえない自然の音たち(雨、風、虫の音など)。

古い家というのは、快適にすごすにはそれなりに努力がいるのだなと、この三ヶ月でわかりました。
念入りに掃除したり、押入れに竹炭ひいたり、ネズミが入ってきそうな穴をうめたり。
でもね、すでに用意された完璧な箱よりも、わたしたちにはあっているのかも。
手をいれるごとに愛着が増し、なじんでいく感じ。

家の前は、大家さん家族とお隣さんしか通らない静かな場所だけれど、
そのかわり野鳥がたくさんいていつも鳥たちの歌声でにぎやかです。
まるで山のなかに暮らしているみたい。

きっと都会に暮らしているお友だちは、
このトタン屋根の雨音をきいたら驚くだろうな。
でも、雨もりはしていないから安心して遊びにきてね。

  


2011年11月18日

不思議の緑館



そのお家というかアトリエの前は、図書館に行く途中によく通っていました。
建物の壁には小鳥や植物の楽しそうな絵がたくさん描いてあって、
それをとり囲むように緑の植物たちがわさーっと生えている。
正面には、少しかがんで入るくらいの小さな緑のペンキで塗られた扉があります。

「あの扉の向こうには、どんな世界が広がっているのだろう?」
その家の前を通る時にはいつも歩く速度がゆっくりになり、
コンコンとノックしてみたくなる気持ちになったものです。

そしたらある日、お友だちのみりんさんが「コトリさん、神楽坂にある壁に植物の描いてある家知っている? そこに住んでいる人は植物とお話ができて、家の中にも大きな植物があるんだって」とたずねてくれました。わたしはすぐにあの家のことだとわかりました。

そして、昨日ついに緑の館に入る日が来ました。
というのも、緑の館の主さんが、みりんさんのお友だちのお友だちだったのです。
で、お誘いいただいてお宅訪問することが実現しました。

写真は緑の館の主さんが、プレゼントしてくれた虫と植物と主さんのコラボレーション作品です。
主さんは子どもたちの絵画教室を主宰されている画家でした。
お部屋の中は、外側の壁以上にワンダフルな世界。
植物や小鳥やうさぎやちょうちょが、そこかしこに描かれています。

築60年近くの古いお家。
家族で少しずつ作り上げたまたとない空間。
主さんと家との一体感。

ほんとうに感動しました。
生きている家。呼吸する家。人をやさしく包む家。
毎月1回、ひそやかにサロンが開かれているそうです。
  


2011年10月25日

コトリ不動産からのご報告



新しい住まいを探し始めて1年と5ヶ月が経とうとしています。
散歩をしながらいろんな家を眺めては、日当たりや景色を想像したり、毎日のようにネットで物件をチェックしたり。これは、単なる家探しではなく、趣味の世界です。
まわりの人からは「コトリ不動産」とよばれていました。

そして、わたしはこよなく「家」を愛しているのだと気がつきました。
人が暮らす家。眠って、起きて、食べて、笑って、くつろぐ大切な場所。
そこには、光がさし、風が通り、雨が窓をたたき、そうやって家自体が毎日呼吸しているのです。
わたしも呼吸する。家も呼吸する。

物件は見すぎるとかえって決められなくなると言う人もいます。
たしかに世の中には、五万とあふれる賃貸物件。
部屋の間取りはいいけれど、景色が好きじゃない。
家賃はちょうどいいけれど、お日さまがたりない感じ。
のどかでいいけど、駅から遠くて不便かも。

なにもかもが満点の家って、限られた予算のなかでみつけるのはむずかしいのかもしれません。
でも大切なのは、自分にしっくりくる感じと、そこに暮らすことを想像した時のワクワク感だと思うのです。そして、出会いたい家をしっかり心に思い描き続けること。

この秋、わたしたちを待っていてくれた家があります。
家探しをはじめた時には、思いつきもしなかった場所にその家はありました。
空、緑、土、風、海、わたしたちを元気にしてくれるものがぎゅっとつまっています。
1年5ヶ月の家探しの旅は、ひとまず終点をむかえました。

今までコトリ不動産をあたたかく見守ってくれた皆さんにお礼を申し上げます。
(コトリ不動産の活動には、ほんとうにたくさんのお友だちが関わってくれたのですよ。)
場所や引越しの時期などはまたいずれお知らせします!
  


2011年10月04日

土地の神様



沖縄に来るとほぼ必ず会いに来るのが、首里金城町の大アカギ。
住宅街の中にありながら、この空間に一歩入れば別世界といえる神聖な空気。

このところ、神様への個人的なお願いごとは控えていたけれど、
この数日間あることを心の中で祈っていました。
イメージをふくらませ、もう願いがかなったかのようにうれしい気持ちでいること。
その気持ちを周りの人たちに語り、一緒になってさらにイメージをふくらませる。

心の中で大アカギとつながる。
2本並んだガジュマルとつながる。
バンシルーの樹とつながる。
思いは距離と関係ない。

わたしがこの世界とつながるための道ならば、どうか実現しますように。
自分のなかに生まれた小さな夢のひとつひとつが叶えられるように、
今という時間を大切にします。


  


2011年09月30日

沖縄の風景



個展が終わった翌日から、所用のため沖縄にいってきました。
待っていてくれたのは、きれいな青空とおいしい空気。



ドラゴンフルーツのアーチをくぐりぬけたのははじめて。
沖縄の植物の生命力はすごいと思う。
ただ圧倒され、「生きる」ということの強さを思いしらされる。



オオタニワタリやパッションフルーツ、ヘチマ、ナーベーラが元気に暮らす庭にたどりつき、
こんなお庭と一緒に毎日を過ごせたら、なんて幸せなんだと空想。



家の前に大きなガジュマルの樹がたっていたら、
きっとその前を通るたびに話かけると思う。

個展も無事終わり、たくさんの人の笑顔に会えて、次に進んでいく道がみえました。
3月11日以降、わたしの心を曇らせていたモヤモヤが少しずつクリアになってきました。
この世界は、やってみなければわからないことだらけ。
うれしいこと、楽しいことをたくさんして、進んでいこうと思います。

  


2011年01月23日

夕焼け学(西日学)



神楽坂通りから、家に帰る坂道。
夕焼けの時分に通ると、頭のなかに「三丁目の夕日」という言葉が浮かんできます。
電線がはりめぐる空の向こうに、オレンジ色の夕焼け。
このあたりは、神楽坂の中でも一番昭和度の高い地域だと思います。
2階立ての木造アパートやこじんまりとした一軒家が多いのどかな町です。

朝に散歩をすることが多いですが、時々はこうして夕方の散歩にでかけます。
西の光の入りぐあいを見て歩くのです。
窓は南と東にあるのが理想ですが、西にも窓があったら最高です。
西日のオレンジ色が心をあたたかくします。(夏は暑いですが)
南西に窓があれば、午後の部屋を明るくします。

旅先で夕焼けに出会うと涙がこぼれます。なぜかしら?
北海道の丘で、オアフ島やバリ島の海岸で、沖縄の波の上ビーチで。
思い出すのは、オレンジ色に染まった大きな空。

太陽ってすばらしい。  


2011年01月12日

朝の光



引き続き「陽あたり学」を学んでいます。
今日は、平日なので一人で方位磁針をもって南東に向かってお散歩。
このところ、日の出は6時50分頃。寒いし、空はなかなか明るくならないしで部屋にいてもテキパキと動けないのです。「この部屋は朝の光が足りないな・・・」。ならば、朝日をめざして外に繰り出そう。

フラワーエッセンスを作る時も、午前中の光を植物とお水にあてます。朝の光は、生物のなかにある生命エネルギーを活性化させるのかもしれません。
眠い目をこすりつつ、神楽坂通りを東に向かって歩きました。空を見上げると、目があけられないほどまぶしいですが、サンサンとふりそそぐ日差しが気持ちいい。

神楽坂通りから小道に曲がり、住民しか通らないような細い道をぬけ、大久保通りへ。
大久保通りから牛込中央通りに曲がり、住宅地を迂回しながら外堀通りにぬける。
お堀沿いを北に向かい歩き、太陽の位置を時々確認します。
外堀公園の松林に朝日があたらないのは、法政大学の高層ビルが東の空をさえぎっているからだと気がつき、松に申し訳ない気持ちになりました。

こうして歩いていると、建物自体は低いのに、太陽の光をたくさんもらっている建物があります。
ビルとビルのあいだに、ぽっかりあいた空だったり、目の前が公園だったりお寺だったり。
高層マンションは、たしかにお日さまを独り占めしているみたいに陽あたりがよかったりしますが、わたしはぽっかりあいた空間のある家を探そうと思います。
空と同時に地面も感じて暮らしたいです。本日の散歩時間2時間半。
  


2011年01月05日

陽(日)あたり学



不動産屋の物件情報を読んで「『2面採光で明るいお部屋です』って書いてあるよ」と、緑のコトリさんに言うと、「だからといって日当たりがいいとは限らないよ。光がはいるということと、日当たりがいいというのは違うから」というご意見がかえってきました。それはどういうことか?

そんなことから、「陽あたり学」の勉強がはじまりました。ここではあえて「日あたり」ではなく「陽あたり」と記します。
週末の朝の散歩は、最近では「陽あたり」の話でもちきり。わたしが「あの建物の陽あたりはどうかな?」というと、緑のコトリさんが「午前10時から11時までと、午後2時から4時の間だけ日がはいる」と、日照の時間を教えてくれます。

都心だとどうしても高い建物が多く、南だとか西だからという単純な話だけではすまないようです。
神楽坂は、最近「ペンシルビルディング」とよばれる不自然な高層マンションがたくさん建設されています。窓がいくら南向きといっても、南側にペンシルビルディングが立ちはだかってしまえば、そこは影になり・・・。

朝の光がほしいのか、午後の光がほしいのか、それとも日中家にいないから光はあまり気にしないのか。家選びは、その人の生活スタイルと価値観をあらためて考えさせられる機会だと思いました。
わたしは、建物のスペックよりも、陽あたりと風と周囲の環境が重要です。宅配ボックスも、自動ドアも、オートロックもいらないけれど、陽あたり大事だなぁ・・・。
よくをいえば、大家さんの人柄も。大家さんがいい人だと、すごく安心感があります。守られているなーといつも思います。

引き続き、緑のコトリ師匠のもと「陽あたり学」を学びます。  


2010年09月24日

古い家




鬼子母神へ向かうケヤキ並木の道。
ここだけタイムトリップしたかのような昭和の香り。
昭和8年に建てられた長屋がいい雰囲気を出しています。
木枠の引き戸や扉が心をくすぐります。

大切にされてきた古い建物というのは、どうしてこんなにほっとするのだろう。
刻まれた時が、やさしさや涙やあたたかさの層になって、建物のオーラになってつつみこむ。

最近、家探しのことを日記に書いていませんでしたが、ひそかに宝探しの日々は続いています。
近所の散歩がとても楽しいです。
坂をのぼり、角をまがり、小道にはいり、緑をみつけ、風に吹かれます。
わたしたちが暮らすことになるかもしれない、そう思うと今までは気にもしていなかった家々が、ぽっと明るく笑っているようにみえます。

暮らす場所を選べるというのは、なんて幸せなんだろう。  


2010年07月30日

今いる場所を大切に。

別々の場所で本をめくった時、同じページが開くってこともあるもんなんだ。
2週間前に本屋さんでふと手にとった本と、数日前に鍼灸医院で手にとった本が偶然同じで、開いたページも同じでした。

ジェームズ・アレンの本。
そこに書いてあったのは「狭いアパートを楽園に変えよう」という言葉。

ジェームズ・アレンの言葉を要約すると、
今狭いアパートに住んでいたとして、もっと広い一軒家に移りたいなと思ったら、今暮らしているそのアパートを磨き上げ、最高の住まいにしなさい。今いる所を否定したら、それすらも失うことになるかもしれない。今の環境を自分のできる範囲で快適に心地よくすれば、やがて理想の家が近づいてくる。

同じようなことを、緑のコトリさんにも言われていました。今できない人が、場所を変えたってできるようにはならないよ。まずは机の上を整理したらって。きびしい~。でも、ほんとうだ。

この10日ばかり、自分の机まわりにある荷物と本棚と向き合いました。なんだかわからないけれど、とっておいた紙類も1枚1枚チェックして、今はいらないものは処分。本だって、紙だって、いらないといっても、どこかしら大切だと思っていたからとっておいたものだけど。でも荷物におしつぶされて窒息する前にさよならしておかないとね。

ようやく机周りがすっきりとしてきました。手離す作業は、忍耐がいりました。すべてを放りなげてどこかにいってしまいたいと思う瞬間も何度か。でも7月中にできてよかったです。
今日は、クローゼットの中もごっそり捨てました。一度、しまった冬物もとりだして処分。
今、透明ゴミ袋にはいった洋服たちがとなりにいます。目にはいるうちはちょっと辛いのですが、捨ててしまえばすっきりなのかも。

新しいものを手にいれたかったら、スペースを作っておかないといけません。
その新しいものが何かはまだ自分でもわからないのですが。